河端伸一郎

河端伸一郎

<河端氏のプロフィール>
1970年生まれ。千葉県出身。学習院大学経済学部卒(1994年)。平成11年11月株式会社インタースペースを起業し代表取締役となり、2006年上場を果たした。

企業 株式会社インタースペース                            企業のビジョン win-winの社会を作る
事業内容 PCアフェリエイト事業、モバイルアフェリエイト事業、メディア事業他
創業 1999年11月8日
上場 2006年9月19日
従業員数 336人(単体) 371人(連結)

<学生時代まで>

河端氏の父も京都きもの友禅を創業した起業家であり、起業が身近であったため自身もいつかは会社を経営するかもしれないと思っていたという。
大学時代に1年間アメリカに留学したことは彼に大きな影響を与える。留学以来、バブル崩壊の前後における世界の中での日本の立ち位置を間近で見ながら、海外で活躍する日本企業が増えればいいと思ったという。それは河端氏が自社の海外進出を掲げる大きな要因である。

<会社勤務から起業に至るまで>

大学卒業後は、営業力をつけ経済をより理解する為に大和証券に勤める。バブル崩壊後で顧客が少ないが結果を問われる厳しい環境の中で働いたという。
インタースペースを立ち上げ前には二社のベンチャー企業で働くが、きっかけはインターネット産業が日本経済活性化のカギになると確信したからである。当時アメリカではマイクロソフト、シスコ、インテルといった新興企業が成長しているのを知り、日本でも新しい産業を生む必要を感じていたところ、転職の面接でインターネットビジネスを始めようとしていた企業に出会ったという。しかしこのビジネスはうまくいかず解散する。二社目のベンチャー企業でも資金繰りに苦戦し失敗に終わる。

<株式会社インタースペース設立>

前述のベンチャー企業での厳しい経験を経て、河端氏は二社目の同僚と共にインタースペースを立ち上げた。インターネットに着目するものの、具体的なビジネスモデルを固める前であったという。どのようなサービスを作ったら良いのか模索する中、アメリカの大手アフェリエイト会社にヒントを得て、約一年後に成果報酬型アフェリエイトサービスを開始する。広告業界における成果報酬型は革新的だと思っていたという。効果の見えないのが当たり前であった広告業で、広告の結果によって報酬を受け取るからである。
また、会社創立間もない頃の資金は父親からで、エンジェル投資家のような存在であったという。

スタートアップ時は多くの資金を要し、利益が出るまで時間が掛かっていた。しかし着実に利益が出てきていたことから、更にビジネスとして成功する可能性を感じていたという。2002年から2003年にかけては不況であったが、日本のインターネットインフラの急速な発展に加え、市場の大きな成長もあり、インタースペースは急成長を遂げた。

現在は主柱のアフェリエイト事業に加えメディア事業、海外進出を掲げた企業となっている。海外事業の主な理由は、既述した通り、世界で活躍する日本のインターネット企業となる為であるという。自社のサービスは世界で戦えないと思ったこともあるそうだが、今はアジア進出を果たし成果をあげ、いずれはアメリカ企業と同等に戦える企業になることを目指しているという。

〔参考・参照〕
著者「未来をつくる企業家 日本発スタートアップの失敗と成功 20ストーリー」
Career Groove
株式会社インタースペースHP

<後記>

河端さんは社員思いの素晴らしい方だなとインタビューなどを読んでいて思いました。その理由として、若手社員が多くのマネジメントにかかわるチャンスや責任者の目線で仕事ができるように組織をあえて小さくし、各々に役割を与えるということをしているからです。また、プロダクトをゼロから設計する機会を与えることもしていて河端さんの元でなら自ら考え行動できる人間になれるなと思いました。河端さんの会社は私にとってとても魅力的なものです。みなさんも私と同じようにこのような会社を望んでいるのでは、、?

(経済学部2年)